ジェジョングは朴正煕政権に対抗して学生運動を起こした。軍事政府を民主的な政府に作り替えるために学生運動をして逮捕される。1974年には裁判府から15年の刑を言い渡され、1年以上刑務に服した。その後、数回逮捕され刑務所で過ごした。
ジェジョングは、政府の監視を避けて逃避するうちに都市貧民が住んでいるバラックの集落を知ることになる。1973年、バラックの集落を見ながら都市貧民と一生を共にしたいち考え、清渓川バラックの集落に入った。1975年、政府が清渓川バラックの集落をすべて撤去したため集団移住を試みたが、政府の妨害により成功することはなかった。
1973年、清渓川バラックの集落で出会ったチョンイルウ神父とヤンピェオンドンバラックの集落に入る。1977年、政府はこれもすべて撤去したのを契機に二人は撤去民の集団移住事業を推進することとなる。京畿道の始興に土地を購入し、その年に170世帯を建立、1979年には2回目の撤去民たちの協同住宅164世帯を建立した。その後1985年の3回目には木洞の開発で撤去された住民と105世帯の共同住宅を建立した。
ソウル市は1986年のアジア競技大会、1988年のソウルオリンピックを控え、貧民が居住している家を強制的に撤去してアパートを造った。貧民たちは闘争するほか方法がなかった。ジェジョングは貧民たちと闘争を共にし、「貧民運動の父」と呼ばれた。1992年には国会議員となって貧民の住宅問題を法律的に制度化し、住宅の安定の実現のために活躍した。その後1999年2月、肺がんで亡くなった。
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